今回は、ビデオゲームデザインの過去、現在、そして未来のお話しをしようと思います。いきなりなんだか壮大ですね〜。でも気楽なかるーいお話し?なのでご心配なく!
ちょっと古い記事ですが、現代のゲーム:「シンプルな勝負」から「達成」へと銘打たれたこちらのアーカイブ記事をご覧ください。2010年の記事かと思いますが、よくまとまっています。
要約すれば、黎明期のビデオゲームは、クリアできるかどうかやスコアや勝ち負けがゲームの目的だった。そして現代のゲームは、実績の達成が目的となっている。でもさあ、やがて現実までゲーム化されて生活や社会や学校でもこまごまとした実績の達成で駆動されるようになっちゃったらどうなんだろう?心配だね!というようなことが書いてあります。
おっとっと、ゲームが現実社会に侵食する、いわゆるゲーミフィケーションについては今回のお話しでは取り扱いません。パスします。それはまたいずれ。
というか心配しすぎですね!だいじょうぶ、ゲームと現実は区別しましょうよ!なんちて。
さて。話を戻して、まあそういったくくりで、ゲームデザインの発展の歴史をザクっと大雑把にひもといていってみましょう。れっつらゴー!
大昔、スコアと勝敗の時代
かつてのゲームは、まず、
・スコアやタイムを競うもの
・クリアできるかどうか試されるもの
(アドベンチャーゲームとかRPGとか、鬼難易度の『カトちゃんケンちゃん』とかな!)
・対戦ゲームなど勝ち負けを争うもの
だいたいこんなでした。もちろんそれらがミックスされた複合形態も存在し、時代を経るにつれ徐々にゲームデザインは複雑になっていきます。しかし基本的には1プレイを長く続けられたほうが偉い!って価値観でしたね。それが面白さや楽しみだったのです。
ちょっと前、体験の時代
その後、コンピューターの表現力が向上してくると、今度は「体験する」ゲームデザインが台頭してきました。『MYST』や『ICO』といった世界体験型のゲームがその代表格、といえばわかりやすいでしょうか。むろん黎明期のアドベンチャーゲームやRPG、『アウターワールド』などのアクションゲームでも「体験」スタイルの萌芽がみられますが、本格的に楽しめるようになったのは表現力が格段に豊かになり、「臨場感」を演出できるようになってからでしょうか。
「体験」はアドベンチャーゲームだけとはかぎらず、FPSなどにもリアリティ追求による臨場感向上により体験型要素が存分に散りばめられています。(とはいっても結局撃ち合うゲームには変わりはありませんけど!)
どれだけ”映画のような”、あるいは”現実のような”、リアルな体験ができるかが、ゲームの重要な要素としてゲームデザインにも取り入れられてきました。
そして臨場感の演出向上がある閾値を越えたあたりで(つまり、まあ素人目にそれ以上画面が綺麗になってもあんまりよーわからん!ってなったあたりで)、こんどは「実績(アチーブメント)」が登場します。
現代、実績の時代
実績、アチーブメント、トロフィー、表現は様々ですが、ここでは実績と統一しておきましょう。じつはこのすこし前の時代から、ゲームには「やりこみ要素」という(中古対策の)フィーチャー群があり、そしてそのやりこみ度を評価する機能が存在していました。「達成度◯◯%」みたいな指標ですね。
これらを大きく拡張し、ゲームの中でのちいさなミッション、ストーリー進行度、様々なプレイの蓄積、隠し要素の踏破、もちろんやりこみ要素も、などなどを網羅的に記録し評価する、という「実績」システムがプラットフォーム機能として推奨されるようになりました。
いままではユーザー個人のこだわりプレイでしかなかった「ナイフだけでクリア」などの変態プレイでも「実績」として評価される、ほんとに大きなお世話な素晴らしい機能です!これでナイフでも戦えるよ! 母さん、ぼくのあの、スナイパーウルフをリモコンミサイルで倒したあの実績も解除されるようになったかな??
プレイヤーのゲームプレイを細かく評価し、褒めて、ごほうびをあげる、という実績システム。可処分時間の少ない現代人の心を折れさせないでゲームに釘付けにするためにはもはや必須で、そのためのゲームデザインも意識的に行わなければならないようになりました。
スコアも、勝敗も、体験すらも、すべて実績達成として記録するのが、今風のゲームデザインなのです。
未来、そして共有へ
そしてこれから。実績達成の次はどこへ向かうのでしょうか。
もちろん、これからは「共有」の時代でしょうソーシャルソーシャル!(葛城ミサト風)といえば一言で終わってしまう感じもするのですが、もうちょっと未来予測らしく書いてみます。
いま、オンラインゲームやソーシャルゲームでは部分的にはゲーム内アイテムなどのある種の共有化が行われているかと思います。ほかにも『モンスターハンター』などでは、ある種「体験の共有化」といっていい現象が見られます。
今後将来的には、すべてのゲームがオンライン化していき、他のユーザーとつながることが当たり前となっていくでしょう。というかもうなってますよね。
そしてそのときは、かつてのスコアや勝敗や体験が実績に取り込まれたように、スコアや勝敗や体験や、そして実績までもがより強固に共有化される、より積極的にゲームデザインとして取り込まれていく、そんな時代になっていくんじゃないかなと個人的には予想しています。
いまでもすでに「実績」や「トロフィー」はシステム画面経由でユーザー間では共有されていると言えば言えますが、これがもっと進んだ形、たとえば複数プレイヤーがみんなで共同で実績を達成していくゲームだとか、共同スコアだとか、そういったゲームデザインがより発展していくのではないでしょうか。(すでに似たようなものがありそうですよね!勉強不足でスミマセン)
そして理論上でいえば、こんどはその逆に、そういった共有具合をスコアとして取り入れて競ったり、共有具合で勝ち負けを決めたり、共有をひろげていくこと自体をみんなで体験する、などなど、過去のゲームデザイン要素に還元したり、なんだか循環していくようなゲームデザインが行なわれるようになる可能性があります。わお、ループしている!時代はめぐる!ウロボロスだよ、おっかさん!
なんだかよくわからない話になってきましたね。ついてこれてますか?
ひとことでまとめれば、これからは
「ゲーム体験の共有」
の時代に進んでいくのではないかというのが、わたくしの青年の主張であります。
まとめ
ゲームデザインの壮大かつ超大雑把な進化の歴史をみてきました。スコア、勝敗、それから体験へ。そしてそれらをとりこんだ実績の時代へ。そして今後は「共有」が、またそれらすべてを取り込み融合し、ゲームデザインは深く広く複雑になっていく・・・
そして「ゲーム体験の共有」とは、メタゲームデザインと呼ばれる領域にまで及ぶことが考えられます。なんだか頭がくらくらしてきますね。自分的にはPSVitaの『near』がその初歩的な形のひとつだと思ってデザインしたのですが、どうでしょうか。
「ゲームはみんなでやればもっと面白い!」を具現化していく、そんな未来に向かって、これからもゲームデザインの進化は続いていく!ゲームの進化は止まらない!のではないでしょうか。なんだか希望にあふれてますね!ちょっと妄想気味ですが、自分ではわりと真面目にそう信じてます。
今回のお話しはいかがでしたか。ご清聴ありがとうございました!ぺこり。
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